───午後4時。陽が傾き始めた。ゆっくりとゆっくりと休日が終わっていく。

「あーきらくーん?」
そう克之が言い終える前に、大声が遮った。
「後一個なのに無いしーッ!!!!」
全てが真青に染まったパズル。でも中央だけにぽっかりと空白。
ぷっと吹き出す男の仕草に、怒鳴った少年は訝しげな視線を投げ掛ける。
「…克之…隠してんなら早くよこせってばっ!」
「そこで何で俺を疑うの」
全くもって説得力の無い声で、表情で、克之は応えてみせた。
「ここで他に誰を疑えって言うんだよ」
後一つ。たった一つが見付からない。
テーブルの下も、置かれたカップの下も。自分が座ってたとこにだって
落ちてない。
「消えたりなんかしないだろ」
必要以上に必死に探す姿に、もう克之の顔にもからかうような表情は浮かんでなかった。
「…っだって…後一つでちゃんと…」
やんわりと手首を掴まれても尚、視線がピースを探すのを自分にも止められなくて。
弱々しく聞こえた自分の声に、本当はずっと張り詰めてた気持ちが緩む瞬間。
全てを克之の唇が覆ってくれた。

 今日が最後と、どちらかが言った訳じゃない。
 それでも分かってた。伝わり過ぎる気持ちが仇となったのか、そうじゃないのかは
 もう分からない。
 ただ。──別れようなんて、そんな言葉を言う日が来るなんて思っていなかった。
 何時からか、礼の言葉よりも謝罪が増えて。
 笑顔がぎこちないものへと変わり。
 まるで誤魔化す様に感じて、でも決してそうでは無かったのに。
 気持ちを伝える言葉が次第に消えていくのを、どうしたらいいか分からない侭、
 人事のように眺める事しか出来なくて。

「…ん…ぁ……っ…!」
聞く度に、今この時でさえ甘い声に切なく締め付けられる気がする。
…違う、この時だからこそ余計に。
これから先二度と抱くことの無い、触れる程に離れがたくなる肌も。
頬を伝う涙も。…誰よりも自分を護り続けてくれた心を。
午前零時が過ぎれば手から離れていく温もりを。乱暴にも思える仕草で
抱き締める。
「…っ…」
吐息混じりに微かに聞こえた自分の名前。
薄らと瞼を上げてみれば、汗が浮かぶ精悍な顔。
自分をすっぽり包む、しっかりとした腕はもう明日から触れる事は叶わない。
消えると分かってても、お願いだからもっとと願うように腕を絡める。
痛くも甘い痛みが、瞬間肌に降る度に零れ落ちた涙。
この2年間で、自分の体はきっと誰より、そう自分よりも相手の知る所となったんだろう。
何処に触れれば自分が啼いて、何処に口付ければ指先がシーツを掴むのか。
それなのに、何時しかまたこの体は自分に戻って来る。
それが少しでも遅いように、少しでも伸ばすように…克之…もっと。
「…か、つゆっ…き…待っ…んっ・・!」
「…待たない…」
きっぱりと否定を告げた言葉には、隠し様が無い程に濡れた響きが伴った。
大丈夫、まだ今日は終って無い。
まだ、…終らせない。



カチと、長針と短針が重なって。静かに其の日が終わった事を二人に教えた。
夕飯も取らない侭あれだけ抱き合ったのに、それを表すのは二人の温もりが
残ったベッドだけで。
後に残ったのは全て清められてしまった晶の体と。
まるで今から仕事にでも行くようなスーツ姿の克之だった。
「…晶」
このままで良い、そう言った晶の言葉を、無視して。
湯気が立ち込める中、瞳の奥が揺れていたのは気のせいだと片付けた。
勝手な俺でごめん。
最後まで甘えてごめんな。
一度言葉に頷いてしまったら、それを涙だと気付いたとしたらきっとまた繰り返す。
それを許せない程には自分は決して強くはないから。
労わるように触れた髪は、さらさらと心地良くて、それでも直ぐに指から逃れてしまう事に
思わず苦笑を浮べた克之はちゃんと。
晶が本当は眠っていない事を知っていた。
何時までも触れたがる自分を叱咤するように、キツく指先を握り込むとそれでも目が離せない、
今は背中を向け必死に眠ってると、そう思わせようとしてる少年を見詰め続けた。

2年間。思い出せば思い出す程幸せな日々が蘇る。
勿論喧嘩をした事が無かった訳じゃないけれど、それを埋めても尚、釣が来る程の
笑顔がその後に待っていて。
何時までもこうしているんだと、そう信じて疑わなかった日々はもう帰って来ない。
手の中から零れ落ちていく砂のように、キラキラと奇跡が消えていく事。
それに気付く迄、沢山の…たくさんの時間が掛かって。
目を背けたくなるような、そんな記憶にだけはしたくないから。
詭弁だと誰が言っても、一番大事なお互いを護る為。
「好きなのに別れる、なんてずっと良く分かんなかった。
 …分かんない侭でいたかった」
呟くように言った晶の言葉が、今でも鈍い痛みを伝え続けてる。

スプリングが軽い音を立てた事で、男が立ち上がった事を少年に伝えた。
少しずつ離れて行く気配に、呼び止めてしまいそうな唇を強く噛み締めた瞬間、
微かに聞こえた低い声。
酷く聞き慣れたその言葉。
誰よりも何よりも、自分を包んでくれていたその言葉。
そして。
何時からか伝えられなくなったその言葉が、空気に溶けた瞬間、
扉が閉まる音がした。

涙が零れ落ちるよりも早く、枕に顔を押しつけるようにして目を閉じた。
眠りに落ちるまで何度も何度も名前を呼んで。

扉を閉め、出会ったあの夏以来手放した事の無かった鍵を、
そっと新聞受けの中に滑らせた事も。
暫くは其処から離れられなくて、人は涙を流さなくても泣けるんだと
今更ながらに知ったなんて、そんなつまらない事も全て。

何時かは想い出になるんだろうか。



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